「倉本さん」
自分の名前が響く廊下は、東京、大森の大学病院。病状に気づいた頃は、まだ歩けていた。半年が経った今、立ち上がるだけで貧血になり、目の前が霞む。そうやって、自分に痛みを与える事で、どこかしら生きる実感を得ていた。隣に座る老婆と、六十を超えただろう娘、その母子のほうが、老いながらも生気を感じ、生きる事に尽くそうという希望、生きる価値のある人生が残されている。生き甲斐を得る為の延命手段。それは、どこか自分の人生においては、絶望の延長に変わる。自分がここにいるのは、延命の為では無い。死という、永遠の救い、希望、人類の最大の恵と称される救済を受ける為に来ているのだ。及んで、このご時世、いくらどのような理由があろうと、自殺というのは面倒なものだ。自殺と見られる死に方には、いくらか厄介なレッテルと、他人を有意に傷つけるような仕業、自己中心な人間として評価を下される。ただ、闘病の後に死すというのは、不可避である事を明らかにした、必然に変わり、これを選ぶ事は自分なりの、自殺願望者なりの他者への配慮なのだ。死に方も、自分の終わり方への着地点は、何も最低と呼ばれる方法を選びたくは無い。どうせなら、生きていればと、慈悲を残し、情けを向けられるような死を、無意識に求めていた。

人を一人前に愛したのは、最後いつだろう。
自分がこの世で感じた愛は全て嘘に変わってしまった。結論を言えば、今、自分は、誰からも愛を感じていなければ、妙に避けている。他人から愛や興味を示されると、必ずと言って、嘘や偽りへと変わる事が、今までがそうだった故に、自分は特に愛を疑い、愛を憎んだ事さえもある。それは、何か全てを失う事を前提とした、一種の喪失感から生まれる悲しみの種を植えられるような、そういった類の摂理。悲惨としか愛の終わりを経験してない自分にとって、愛は入り口で、悲しみと憎しみの刑を言い渡す。その傷は、深く愛せば愛すほど辛く長いもので、それを恐れ、自分は愛を遠ざけている。幼稚な自分がそうやって、愛を腐らしていった。
年齢を重ねれば、生きることが比例して複雑なもになる。その成長の過程で自分は潰れて、生気を失ったように思える。例え、お前には失うものがないだろと言っても、自分は依然として他人の目を伺い、気にしているのかもしれない。嫌われたくない、最悪という他者評価を受ける前に、少なくとも誰かの前では、普通でいられた自分を完全に削ぐなう前に、自ら消えたいのだ。

ただ単に嫌われることを恐れているだけなのだ。
相手が変に、自分が調子が悪いときに限って鼻を突っ込んでは、様子を伺ったりして気にかけてる仕草に反応を返すことに疲れ、野暮になる。変に期待されて自分の懐を探られては本性がばれ、どうしようもないぐらいに嫌われるぐらいなら、自分から予防策として、変に相手が近づかないよう、人を傷つけ、性格の悪い役を買って、毒を巻きながら威嚇し、人と愛を遠ざける、天の邪鬼。
 
そんな三十年だったのかもしれない。自分の闇は適当な人間には、到底苦すぎるような気がしてならない。最低の人間になる前に、興味を無くさせ、相手を冷たくあしらう。それが自分なりの愛情の表現。いじけながらも、自分に興味を持った相手、自分自身の両者、お互いの為だと信じている。例え、自分が求める愛が、手に届くところにあったとしても、守りたい醜い自分。自分が愛す人に失望されるぐらいなら、憧れを抱ける関係を維持できる距離に置く。深入りされるとバレる、知られたく無い実態。人には見せられない、臭いものに蓋をしたような、そんな自分がいる。