「倉本さん」
自分の名前が響く廊下は、東京、大森の大学病院。病状に気づいた頃は、まだ歩けていた。半年が経った今、立ち上がるだけで貧血になり、目の前が霞む。そうやって、自分に痛みを与える事で、どこかしら生きる実感を得ていた。隣に座る老婆と、六十を超えただろう娘、その母子のほうが、老いながらも生気を感じ、生きる事に尽くそうという希望、生きる価値のある人生が残されている。生き甲斐を得る為の延命手段。それは、どこか自分の人生においては、絶望の延長に変わる。自分がここにいるのは、延命の為では無い。死という、永遠の救い、希望、人類の最大の恵と称される救済を受ける為に来ているのだ。及んで、このご時世、いくらどのような理由があろうと、自殺というのは面倒なものだ。自殺と見られる死に方には、いくらか厄介なレッテルと、他人を有意に傷つけるような仕業、自己中心な人間として評価を下される。ただ、闘病の後に死すというのは、不可避である事を明らかにした、必然に変わり、これを選ぶ事は自分なりの、自殺願望者なりの他者への配慮なのだ。死に方も、自分の終わり方への着地点は、何も最低と呼ばれる方法を選びたくは無い。どうせなら、生きていればと、慈悲を残し、情けを向けられるような死を、無意識に求めていた。